百姓蓑(復元)MINO
Vol. 6

(6)2014年3月 民俗学的アプローチを試みる

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15/03/08 UP

千葉県の博物館「房総のむら」で、幸運にも復元したい「百姓蓑」とほぼ同じ形の蓑の作り方が伝承されていたこともあり、復元への道はいっきに拓けてきました。房総のむらの方に「房総のむらで伝承されている蓑は、どのエリアで作られているものですか?」とおたずねしたのですが、そのあたりのことまではわからないとのことでした。「百姓蓑」と同じタイプの蓑が全国的に広い地域で作られていたのか? それともすごく局所的に作られていたのに、奇跡的にそこに当たったのか? そのあたりが気になります。

そこで、「百姓蓑」と同じタイプの蓑は、民俗学的にみるとどの地域に伝承されてきたものかを調べてみることにしました。まずは蓑の研究者をさがしたいと思いましたが、見当がつかないので文化人類学者の川田順造さんにご相談することにしました。川田さんと田村は、以前から交流があり、川田さんが歌舞伎をお好きであるということもあり、一緒に観劇をさせていただいたりしてきました。川田さんは、こちらが問い合わせをするといつも迅速にご対応くださいます。このたびは、蓑の研究者をご紹介いただきたいとお願いしたのですが、すぐにお電話をくださり、資料も宅急便にて送られてきました。本当にエネルギッシュで、余計なことはおっしゃらず、ポイントをばしっと的確に教えてくださいました。

川田順造(かわだ・じゅんぞう)
昭和後期-平成時代の文化人類学者。1934年東京生まれ。東京大学教養学部卒、パリ第5大学民族学博士。東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所教授を経て、現在神奈川大学日本常民文化研究所特別招聘教授。文化功労者。クロード・レヴィ=ストロースの『悲しき熱帯』の翻訳でも知られる。主著に『曠野から-アフリカで考える』(筑摩書房)、『無文字社会の歴史』(岩波書店)、『聲』(筑摩書房)、『口頭伝承論』(河出書房新社)ほか。

蓑については、武蔵野美術大学の神野善治先生か沖田憲先生にたずねたらよいとのことでした。民俗学なのになぜ武蔵野美術大学なのか?と思いましたが、武蔵美は民俗学者の宮本常一(1907-1981)とつながりが深いのです。武蔵美の民俗資料室には、民衆が日々の暮らしの中で生み出し、使い続けてきた民具が9万点余り蓄積されています。その資料の収集は、「旅する巨人」として知られる宮本常一の提唱のもとに始められたとのことです。

武蔵野美術大学 民俗資料室
http://www.musabi.ac.jp/folkart/

川田さんからの宅急便には、武蔵美の資料とともにご自身の最新刊『富士山と三味線 文化とは何か』(青土社 2014)も同封されていました。いい糸口をいただきましたので、さっそく武蔵美にアプローチをはじめてみることにしました。

川田順造さんの以下の対談がおもしろいです。

「生きもの」と「ヒト」と「人間」:川田順造×中村桂子
(生命誌ジャーナル 2004年冬号のWebサイト)
http://www.brh.co.jp/seimeishi/journal/043/talk_index.html