鹿の子(復元) KANOKO
Vol. 11

(11)2010年6月 平成版の「鹿の子」が完成しました!(最終回)

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13/04/25 UP

2010年6月3日。床山の高橋敏夫さんから電話がかかってきました。「京都の吉岡さんから、鹿の子が届きました。ぜひ見に来てください」とのこと。さっそくお仕事場にうかがって、出来上がった鹿の子を見せていただきました。麻の葉模様も美しく浮き出ていて、それはそれは見事な仕上がりでした。2009年6月に「鹿の子」が作れなくなっている事実を知ってから、約1年。もっと時間がかかるだろうと思っていたのですが、京都絞栄会(京都絞り工芸館)の吉岡健治さん、信昌さんのおかげで、思ったよりも早く完成させることができました。

吉岡さんにとって、決して大きな儲けになる案件ではなかったのですが、「歌舞伎のお役に立てるなら」と費用のことは一切何もおっしゃらずに、ずっとお付き合いくださいました。本当にありがたいことでした。そのようなこともあり、吉岡さんにお目にかかってお礼を申し上げたくて、7月10日に京都へうかがいました。お父様の吉岡健治さんにお礼を申し上げ、復元までのあれこれをふり返りながらたくさん話をしました。絞りの技術のことも、細かなところまで詳しく教えてくださり、絞りという技術の奥深さを改めて感じました。やはり作っている現場のお話は面白いですね。たとえば、布はナナメ方向にはよく伸びるので絞りやすいけれど、縦方向は伸びが少ないので絞りにくいそうです。どこから、どういう手順で絞っていくかよく考えないと全体を均等に絞れないと言われていました。

こうして「鹿の子」を無事に復元することができました。その後も吉岡さんと床山の高橋さんとのお付き合いは続いています(田村も一緒にお付き合いをさせていただいています)。吉岡さんたちが東京に来られたら、一緒にお食事をしたりしているのですが、最初に田村が吉岡さんのところに突撃訪問したときのことは笑い話となっています。そして、2012年3月〜5月は、吉岡さんが運営されている「京都絞り工芸館」で「床山の技〜歌舞伎の中の絞り」という展覧会も開いていただきました。

★★★

これまで歌舞伎の舞台は「観るもの」であり、裏方さんに対しては取材者として「お話をうかがう」だけでした。しかし「鹿の子」を復元させたことで、歌舞伎の道具を「つくること」に関わることができ、裏方さんの役に立つことができたように感じました。そこには、これまでとは全く異なる喜びがありました。そして支援活動を本格的に始めたいという気持ちが芽生えました。それが「伝統芸能の道具ラボ」のはじまりです。鹿の子の復元は、田村にとって一生忘れることのできないプロジェクトとなりました。

この連載を最後まで読んでくださいまして、ありがとうございました。

床山の高橋敏夫さんは、2017年8月6日にご逝去されました。ご冥福をお祈りいたします。